世界にほんの少しの彩りを、

何年経っても色褪せないような、大事な大事な一日にしよう。

体温を感じることができない距離にいる、体温があるキミへ。

 


どうも!

 

先日Twitterで非公式企画として行われている、NEWS楽曲大賞に投票をしました。5曲まで投票できるのですが、私が投票した5曲の中で一番マイナーかなぁと思う楽曲について、ブログを書きたいと思います。

 

 

 


「36℃」

 


WORLD QUEST/ポコポンペコーリャ」というシングルの初回盤Bにのみ収録されている楽曲です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

35℃以上か、猛暑日だね。ってそうじゃない。(誰もそんなこと思ってねえよ)(ごめんなさいふざけました)

 

 

この楽曲の良さを語りたい。ので語ります、勝手に。←いつも勝手

音楽的なことはあんまりわからないから、いつも通り歌詞について書きますね。

 

 

【必読】
芸術作品には、受け手の数だけ捉え方、解釈が生まれるものだと思っています。よって、ここから先に書くのは、素敵な芸術作品を、いち受け手が、主観100%でアレコレ言うだけの文章です。
皆様自身の受け取り方、素敵な解釈を崩してしまいたくはないので、あくまで「極めて個人的な解釈である」とご理解いただきまして、この先を読んでいただきたいです。また、自身の解釈や世界観を崩したくないとお考えの方にはUターンをオススメします。申し訳ありませんm(_ _)m

 

 

 

 

 

 


(↑いつものやつ)

 

 

 

きみどりという方が作詞作曲をした楽曲です。
この方が作詞作曲した楽曲は、「36℃」と「星に願いを」のみ。

発売当時この人物についていろいろ議論があったらしいけど、まあ今回はそこには言及しないで書きますね。笑


この楽曲の発売は2012年12月12日。「チャンカパーナ」の5ヶ月後、4人体制で二枚めのシングルに収録されていました。

このタイミングで発売された、というのもなかなかにエモいなと思えるような歌詞なのです。そりゃ作詞作曲者について議論したくもなるよなぁ。(開始早々「エモい」を発動してしまった。あんまり考察ブログでは使わないようにしてるのに、笑)


猛暑日ではなく、人の体温。人の温もりがテーマとなった楽曲です。

素敵なフレーズがたっぷり詰まっていて、この楽曲を自分が応援しているアイドルが歌ってくれることが素敵すぎる!たまらない!という想いをぶつけたい…!

 


それでは。

 

 

 

この楽曲は、何度聞いても、アイドルとファンの関係について歌っているように聞こえてしまうんだ。それを前提に書きますので、この前提が嫌だなぁと思う方はUターンしてくださいませ……

 

 

 

TVの向こう側 両手を伸ばしても
涙は拭えなくて


ファンからしたらアイドルはTVの向こう側の存在だ。
でも、それと同じように、アイドルからしたってファンはTVの向こう側の存在なのである。

「TVの向こう側」というフレーズを切なく感じてしまうのは、相手の反応を見ることができない距離である、相手の温もりを感じることができない距離である、という意だから。

相手が目の前でどんなに泣いていたって、どんなに涙を拭ってあげたいと思ったって、届かない。それが大前提な関係性なのである。(だから、ハイタッチや握手という行為が素敵なものとして扱われるわけだ)

 

答えの無い未来(パズル)の
ピースのひとつくらいは
心(ココ)にある気がした


ココというのは、自分の「心」のことであると同時に相手の「心」のことでもある、ことであってもいいと思う。

つまり、前に進むためのピースを相手の存在の中から、相手の存在を想う自分自身の心の中から探してみるような、少し依存的な関係だっていいんじゃないかなってこと。アイドルとファンの関係がそういうものでもいいんじゃないかなってこと。

 

霞んでる明日の光を
信じてくその強さになれたらいいな…


明日の光を信じるための強さにお互いがなれたら素敵じゃん。理想じゃん。

 

36℃の熱のある声で
伝える言葉探していた


温もりというのは触れ合わなければ伝わらない。それに代えて人々が使うのが声。相手の声を聞いて、相手の存在を、相手の温もりを感じようとする。(無性に好きな人の声を聞きたくなっていきなり電話をする、的な心理もこれだよね)

声なら、テレビ/ラジオ越しでも通じるんだよ。言葉を探して選んで相手に届けようとする行為って、なんだか愛おしい。

 

悲しみに触れて
それでも夢を描いて
歩き出す キミのために

僕は歌うよ 声の限り
声の限り


自らの悲しみ、相手の悲しみをバネに一層大きな夢を描いて歩き出す。誰かのために歩むって幸せだし、誰かが歩むための力になるのはもっと幸せじゃない?

 

遠い国の映画の
英雄(ヒーロー)みたいにキミを
救えやしないけれど

負けそうになったとき
そっと背中押してくれた
歌のようになれたら


相手がやられそうになったときにどこからともなく現れて、敵をやっつけて相手を救って去っていく。そんな存在になることはできない。そんなことをできる距離にはいない。

だけど、
相手の背中を押せないほど遠い距離にもいないんだ。

さっき温もりの代替に声を使うという話をしたけれど、歌は声あってこそのものだね。
前に「歌いたがりなNEWSファンと、歌わせたがりなNEWS。」というブログを書いたことがあるんだけど、相手のために歌う、相手に届けたくて歌うっていいなぁと思っている。いい距離感じゃないの。それで相手の背中を押すことが出来たらもっともっといいなぁ。

 

どこまでも続く未来へ 
導いてくあの姿に あこがれたんだ


相手の存在が未来への希望、というと少々依存的すぎるけれど、相手が未来へ進んでいく姿を見てそれに憧れ、明日を生きる力にする、くらいの相互補完的な関係なら良いかなって思う。

 

体中にめぐる想い ありのまま
伝わる言葉探していた


温もりの代替として声を発し、声で相手に何かを届けるときには、言葉が伴う。
想いを伝えるために言葉を探す。相手を想うからこその行為だなと思うし、この行為好きだなぁ。

どんな言葉にするか悩んでいる間は相手を想っている時間ということだし、あったかい言葉を探し合う関係でいたいなぁと思う。

 

この手をつないで
僕らは闇の先へ
歩き出す 夢のため


手をつなぐという行為は温もりを感じることができる距離にいないと実行できないから、手をつないでいるくらい寄り添って共に闇の先へと歩いて行くのは、難しいことだ。

でも、できる限り寄り添う、寄り添いたいなと思い寄り添えるように優しくなることは、意識的にすれば可能なんじゃないなぁと思う。

 

 

アイドルを応援するということは、生身の人間を応援するということだ。生身の人間同士だということはつまり、自分も変わりゆくし、相手も変わりゆく。

私は、それを楽しみたいなと思う。

好きな食べ物が変わっていくアイドルを、好きな食べ物が変わっていきながら応援したいし、考え方が変わっていくアイドルを、考え方が変わっていきながら応援したい。歳を重ね変わりゆくアイドルを、一緒に歳を重ね変わりゆきながら応援していたい。

それが、アイドルを応援することの醍醐味じゃんって思うから。

そんな、体温があるもの同士で、体温を感じることができない距離から想い合う、アイドルとファンの関係性が好きだから。この関係性が好きな私は、結構アイドルを応援することに向いてるんじゃないかなって思っている。

 


体温を感じることができない距離にいるキミが、
今日も温かい体温を感じながら生きていますように。

 

体温を感じることができない距離から、
今日も応援しています。